宇都宮城址公園 清明館
Wikipediaによると、平安時代に藤原宗円が二荒山の南に居館を構えたのが始まりで、本多正純の頃には天守があったという伝えもあるが、この清明台櫓を事実上の天守としていたそうです。徳川将軍の日光東照宮参拝の際に将軍の宿泊施設として利用されたとのこと。
明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し、第2次世界大戦後に都市開発もあって、当時の遺構はほとんど残っていないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁や堀が外観復元、建物(清明台、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されているそうです。マンションから自転車で5分のところにあります。市の環境課の方でしょうか、暑い中メンテナンスに濠と土塁に入られてました。 Fijifilm X-E1 XF 18-55mm (20mm f 13) 1/350s
明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し、第2次世界大戦後に都市開発もあって、当時の遺構はほとんど残っていないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁や堀が外観復元、建物(清明台、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されているそうです。マンションから自転車で5分のところにあります。市の環境課の方でしょうか、暑い中メンテナンスに濠と土塁に入られてました。
by mahoroba-tama
| 2013-08-10 09:28